大判例

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東京地方裁判所 平成8年(ワ)14833号 判決

原告

エスエス製薬株式会社

右代表者代表取締役

泰道直方

右訴訟代理人弁護士

井窪保彦

佐長功

被告

大洋薬品工業株式会社

(以下「被告大洋薬品」という。)

右代表者代表取締役

新谷重樹

第一四八三三号事件被告

株式会社エムエフ

(以下「被告エムエフ」という。)

右代表者代表取締役

山田正敏

右両名訴訟代理人弁護士

脇田輝次

同補佐人弁理士

小島隆司

西川裕子

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

一  被告大洋薬品は、別紙物件目録一記載の医薬品(以下「被告医薬品一」という。)を製造・販売してはならない。

二  被告大洋薬品は、その本店、支店、営業所及び工場に存する被告医薬品一の半製品、完成品を廃棄せよ。

三  被告らは、別紙物件目録二記載の医薬品(以下「被告医薬品二」という。)を製造・販売してはならない。

四  被告らは、その本店、支店、営業所及び工場に存する被告医薬品二の半製品、完成品を廃棄せよ。

第二  事案の概要

本件は、「徐放性ジクロフェナクナトリウム製剤」についての特許権を有する原告が、被告らが製造・販売しようとしている医薬品は、いずれも原告の右特許権を侵害するものであるとして、被告らに対し、その製造・販売の差止め等を請求している事案である。

一  争いのない事実

1  原告及び被告らは、いずれも医薬品の製造、販売等を定款所定の目的とする株式会社である。

2  原告は、左記の特許権(以下「本件特許権」といい、その発明を「本件特許発明」という。)を有している。

特許番号 第一五七一八四九号

発明の名称 徐放性ジクロフェナクナトリウム製剤

出願年月日 昭和五九年八月一〇日

出願公告年月日 平成元年一二月四日

登録年月日 平成二年七月二五日

3  本件特許権に係る明細書(補正後のもの。以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の記載は、次のとおりである。

「(A)速効性ジクロフエナクナトリウム、及び(B)ジクロフエナクナトリウムに溶解pHが6〜7の範囲にあるメタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、溶解pHが5.5であるメタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー又は溶解pHが5〜5.5の範囲にあるヒドロキシプロピルメチルセルロースフタレートの腸溶性皮膜を施した遅効性ジクロフエナクナトリウムを、(A):(B)が重量比で4:6〜3:7になるように組合せたことを特徴とする徐放性ジクロフエナクナトリウム製剤。」

4(一)  ジクロフェナクナトリウムとは、鎮痛、抗炎症、抗リウマチの作用を有する非ステロイド系薬剤であり、消炎・鎮痛剤として現在臨床において広く使用されているが、従来のジクロフェナクナトリウム製剤は、経口投与後三〇分以内に血中に移行し、二時間以内に最高血中濃度が得られ、その血中半減期が1.3時間と短いことが知られており、吸収排泄が速いため、有効血中濃度を長時間維持することが難しかった。

本件特許発明は、速効性ジクロフェナクナトリウムと、ジクロフェナクナトリウムに腸溶性の皮膜をコーティングした遅効性ジクロフェナクナトリウムとを一定の比率で組み合わせて製剤することにより、徐放性、すなわち消化管内で長時間にわたり溶出し、吸収されるようにして、有効血中濃度を長時間にわたって維持することを可能にしたものである。

(二)  本件特許発明の構成要件を分説すると、次のとおりである(以下、分説された各構成要件をその符号に従い「要件A」のように表記する。)。

A (A)速効性ジクロフェナクナトリウム、及び

B (B)ジクロフェナクナトリウムに溶解pHが六ないし七の範囲にあるメタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、溶解pHが5.5であるメタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー又は溶解pHが五ないし5.5の範囲にあるヒドロキシプロピルメチルセルロースフタレート(以下「HP」という。)の腸溶性皮膜を施した遅効性ジクロフェナクナトリウムを、

C (A)対(B)が重量比で四対六ないし三対七になるように組み合わせたことを特徴とする

D 徐放性ジクロフェナクナトリウム製剤。

5  被告大洋薬品は、平成八年三月、被告医薬品一について製造承認を受け、同年七月ころに行われる薬価基準収載を経て、これを製造・販売しようとしている。また、被告らは、同年三月、被告医薬品二について、被告エムエフを委託者、被告大洋薬品を受託者とする委受託製造に関する承認を受け、同年七月ころに行われる薬価基準収載を経て、これを製造・販売しようとしている。

6  被告医薬品一及び被告医薬品二(以下、これらを「被告医薬品」と総称する。)の構成を分説すると、次のとおりである(被告医薬品一と被告医薬品二は商品名が異なるが、その構成は同一である。以下、分説された各構成をその符号に従い「構成a」のように表記する。)。

a (a)速効性ジクロフェナクナトリウム、及び

b (b)ジクロフェナクナトリウムに溶解pHが六ないし七の範囲にあるヒドロキシプロピルメチルセルロースアセテートサクシネート(以下「AS」という。)と非水溶性のエチルセルロース(以下「EC」という。)を重量比一対一で用いた腸溶性皮膜を施した遅効性ジクロフェナクナトリウムを、

c (a)と(b)の重量比が三対七になるように組み合わせた

d 徐放性ジクロフェナクナトリウム製剤。

7  被告医薬品は、構成aにおいて要件Aを、構成dにおいて要件Dをそれぞれ充足する。構成cについては、(b)遅効性ジクロフェナクナトリウムの腸溶性皮膜として用いられた物質が本件特許発明の構成要件と異なるが、(a)速効性ジクロフェナクナトリウムと(b)遅効性ジクロフェナクナトリウムとを重量比が三対七になるように組み合わせており、その限りにおいて本件特許発明の要件Cを充足する。

8  HPは、ヒドロキシプロピルメチルセルロース(セルロースにメチル基及びヒドロキシプロピル基がエーテルの形で結合したもの)のフタル酸エステルであり、その構造式は、別紙「構造式」1記載のとおりである。

ASは、ヒドロキシプロピルメチルセルロースの酢酸及びコハク酸混合エステルであり、その構造式は、別紙「構造式」2記載のとおりである。

本件明細書において比較例の腸溶性皮膜として用いられているセルロースアセテートフタレート(以下「CAP」という。)は、セルロースの酢酸及びフタル酸混合エステルであり、その構造式は、別紙「構造式」3記載のとおりである。

二  争点

前記のとおり、本件特許発明に係る明細書の特許請求の範囲の記載では、遅効性ジクロフェナクナトリウムの腸溶性皮膜に用いられているのが、メタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、メタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー又はHPである(構成要件B)のに対して、被告医薬品ではAS及びECであって(構成b)、この点において被告医薬品は本件特許請求の記載と相違する。右のとおり、被告医薬品は本件発明の特許請求の範囲の記載とは文言上異なるものであるから、この限りにおいては被告医薬品が本件特許発明の技術的範囲に属するということはできないところ、原告は、(1)被告医薬品において腸溶性皮膜にECが用いられていることは、被告医薬品が本件特許発明の技術的範囲に属するかどうかを判断するに当たって考慮する必要がなく、(2)ASとHPとは実質的同一物であるか、又は(3)本件特許発明における腸溶性物質HPに代えて腸溶性皮膜にASを用いることは本件発明と均等である、と主張して、被告医薬品は本件特許発明の技術的範囲に属するという。

したがって、本件における争点は、次の1ないし3である。

1  被告医薬品が本件特許の技術的範囲に属するものか否かを検討するに当たり、被告医薬品の遅効性ジクロフェナクナトリウムの腸溶性皮膜中のECの存在を考慮する必要がないかどうか。

2  被告医薬品の遅効性ジクロフェナクナトリウムの腸溶性皮膜に用いられているASは、本件特許発明の腸溶性皮膜に用いられているHPと実質的同一物であるかどうか。

3  本件特許発明における腸溶性物質HPに代えて腸溶性皮膜にASを用いることは、本件発明と均等かどうか。

三  当事者の主張

1  争点1について

(原告の主張)

本件特許発明は、要件Bにおいて、①溶解pHが六ないし七の範囲にあるメタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、②溶解pHが5.5であるメタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー又は③溶解pHが五ないし5.5の範囲にあるHPを腸溶性皮膜として用いているのに対し、被告医薬品は、構成bにおいて、重量比一対一の溶解pHが六ないし七の範囲にあるASとECとを腸溶性皮膜として用いている点が相違する。しかし、被告医薬品においては、ASが腸溶性皮膜としての作用を果たしており、皮膜成分としてECが加えられてASの溶解性が制御されることがあったとしても、ASはその性質を変ずることなく腸溶性物質としての性能を発揮しているから、ECは単なる付加であって、被告医薬品が本件特許の技術的範囲に属するものか否かを検討するに当たり、ECの存在を特に考慮する必要はなく、ECが対比において意味を持つものではない。したがって、腸溶性皮膜剤であるHPとASが実質的同一物であるか、又は腸溶性皮膜としてHPに代えてASを用いることがHPを用いることと均等なものであれば、被告医薬品は本件特許発明の技術的範囲に属することになる。

(被告らの主張)

ASとECとからなる皮膜は、腸溶性皮膜としての作用・効果がAS単独からなる皮膜とは異なり、被告医薬品の徐放化はASのみによって与えられているものではないから、ECは単なる添加物ではなく、被告医薬品が本件特許発明の技術的範囲に属するか否かを判断するに当たっては、HPからなる腸溶性皮膜とASとECとからなる腸溶性皮膜とを対比検討すべきであって、被告医薬品の遅効性ジクロフェナクナトリウムを形成する皮膜からASを抜き出してこれとHPとを対比しようとする原告の主張は、失当である。

2  争点2について

(原告の主張)

HPとASは、ヒドロキシプロピルメチルセルロースのエステルである点において同一の構造を有しており、エステルを構成する酸が異なるにすぎず、また、ASが腸溶性コーティング基剤として用い得ること及びその機能がHPと同様であることは、本件特許発明出願当時、当業者にとって自明であった。

本件特許発明は、ある種の腸溶性皮膜をジクロフェナクナトリウムに施して遅効性ジクロフェナクナトリウムを得た点に技術的特徴を有し、本件明細書の特許請求の範囲に記載された各腸溶性皮膜の溶解pH値に臨界的意味はないから、被告医薬品のASと本件特許発明のHPとの溶解pHの違いは、問題にならない。

したがって、被告医薬品において腸溶性皮膜として用いられる溶解pHが六ないし七の範囲にあるASは、本件明細書の特許請求の範囲記載の溶解pHが五ないし5.5の範囲にあるHPと目的、機能において同等であって、これと実質的に同一の物質である。

よって、被告医薬品は、本件特許発明の技術的範囲に属する。

(被告らの主張)

HPとASは、ヒドロキシプロポキシル基を有するという点で共通の構造を有するものの、置換基(R)の種類が異なっている。すなわち、HPはそのエステルを構成するフタル酸がベンゼン骨格を有する芳香族系の酸であるのに対し、ASはそのエステルを構成する酸が酢酸及びコハク酸というベンゼン環を有さない脂肪族系の酸である点で相違し、酢酸がモノカルボン酸であり、フタル酸がジカルボン酸である点でも相違する。また、ASはそのエステル化に用いる酸が二種類であるが、HPはフタル酸一種類である。したがって、ASとHPとはエステルを構成する酸が異なり、性状や作用(ジクロフェナクナトリウムに対する溶出特性や持効化効果)も相違することになり、当業者にとって両者はコーティング剤としての作用が全く別のものと理解されるものであるから、両者が実質的同一物であるとはいえない。

3  争点3について

(原告の主張)

(一) 最高裁第三小法廷平成一〇年二月二四日判決(無限摺動用ボールスプライン軸受事件)は、均等が成立する要件について、次のように判示する。

「特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合であっても、(1) 右部分が特許発明の本質的部分ではなく、(2) 右部分を対象製品等におけるものと置き換えても、特許発明の目的を達することができ、同一の作用効果を奏するものであって、(3) 右のように置き換えることに、当該発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(以下「当業者」という。)が、対象製品等の製造等の時点において容易に想到することができたものであり、(4) 対象製品等が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから右出願時に容易に推考できたものではなく、かつ、(5) 対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないときは、右対象製品等は、特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技術的範囲に属するものと解するのが相当である。」

本件特許発明におけるHPに代えてASを用いることは、以下に詳述するとおり、右の均等の成立要件をすべて充足しており、本件特許発明の技術的範囲に属する。

(二) 本質的部分について

(1) 前掲最高裁判決においては、特許発明の本質的部分がいかなるものであるかについて、具体的な説示、判断がされていないが、そもそも右判決が産業の発達への寄与という特許法の目的、社会正義の実現、衡平の理念を根拠に、第三者が特許請求の範囲に記載された構成からこれと実質的に同一なものとして容易に想到することができる技術は均等として特許発明の技術的範囲に属すると結論していることからすれば、本質的部分が異なる場合とは、特許法の目的、社会正義及び衡平の理念に照らして均等として保護を及ぼすのが適当でないと認められる場合をいうものと理解すべきである。

本質的部分か否かの判断については、特許請求の範囲の構成要件ごとに分断して判断すべきではない。なぜなら、例えば新規化合物の物質発明やその用途発明の場合、構成要件の数は極めて少なく、いずれも本質的部分といえるが、これらについては均等が成立する余地は全くなくなるし、また、いわゆるパイオニア発明のような場合には、すべての構成要件が欠くべからざるものであって、本質的部分に当たるから、パイオニア発明であればあるほど均等が認められる範囲が狭くなるという矛盾を来すことになるからである。

(2) 本件特許発明の技術思想の根本は、ジクロフェナクナトリウムとの組合せにおいて、有効な徐放性を発揮する皮膜を見出した点にある。本件明細書の特許請求の範囲においては、具体的に①メタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、②メタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー及び③HPの三つの腸溶性物質が取り上げられているが、特に、セルロース系の腸溶性皮膜を用いることについては、従来から広く皮膜剤として用いられてきたCAPではなくHPを用いた点に技術的特徴を有する。そして、HPを皮膜剤として用いた理由は、HPがヒドロキシプロピル基を有し、安定性を有していることから、ジクロフェナクナトリウムとの組合せにおいて十分な腸溶性を発揮するからである。そうすると、本件特許発明のセルロース系の腸溶性皮膜を用いる発明においては、ヒドロキシプロピル基を有しているために構造的に安定している皮膜を用いたという点にその技術的特徴があるというべきである。

HPと同じくヒドロキシプロピル基を有するセルロース系の腸溶性皮膜であるASを用いた場合、HPとASの構成上の相違点は、本件特許発明の本質的部分ではない。

(三) 置換可能性について

被告医薬品は、本件特許発明の実施品の一つであり先発品である「ナボールSRカプセル」及び「ボルタレンSRカプセル」の後発品として製造承認を受けたものであるから、放出特性や有効血中濃度の維持という効果は本件特許発明の構成を採用した場合と同一であって、ASへの置換によって本件特許発明とは異なる特に顕著な効果がもたらされることもない。したがって、腸溶性皮膜としてHPに代えてASを用いても、本件特許発明の目的を達することができ、同一の作用効果を奏すること(置換可能性があること)は明らかである。

(四) 置換容易性について

(1) CAPとHPの本質的な違いは、HPの場合は、セルロースにヒドロキシプロピル基とメチル基がエーテル結合し、フタロイル基の大部分がヒドロキシプロピル鎖の「―OH」にエステル結合しているのに対し、CAPの場合は、ヒドロキシプロピル基を持たず、アセチル基とフタロイル基が直接セルロースとエステル結合している点にある。このような構造的な違いから、ヒドロキシプロピル基を有しないセルロース系のエステル誘導体は安定性に乏しく、主剤に対し悪影響を及ぼす場合のあることが古くから知られており、かかる難点を克服するために、ヒドロキシプロピル基を有するセルロース誘導体を腸溶性皮膜として用いる試みが行われてきた。

(2) 本件特許発明出願時には、①セルロース系の腸溶性皮膜剤の腸溶性が分子中のカルボキシル基が解離することによりもたらされるものであること、②カルボキシル基を含むフタル酸あるいはコハク酸とセルロースの基本骨格とのエステル結合が特定の条件下で不安定となり、加水分解しやすいこと、③CAPをある種の薬剤をコーティング剤として用いた場合、腸溶効果が失われることがあること、④ヒドロキシプロピル基とのエステル結合を介してセルロース基本骨格と結合したフタル酸あるいはコハク酸の化合物(HPやAS)のエステル結合が、しからざる化合物(CAP)のエステル結合より安定していること、⑤ASについても、他の有効成分との組合せにおいてHPと同様の腸溶性を示すことは、いずれも公知であった。しかし、どの有効成分と組み合わせた場合にエステルの不安定さが原因となって腸溶性が悪化し、有効成分の溶出に悪影響を及ぼすかについては知られておらず、CAPも極めてありふれた腸溶性物質として広く用いられていた。

本件特許発明の発明者は、このような技術状況の下、HP及びCAPが同じセルロース系のエステル誘導体であり、いずれも腸溶性の皮膜剤として広く用いられていたにもかかわらず、これらをジクロフェナクナトリウムとの組合せにおいて生体内に投与した場合、CAPは良好な腸溶性を維持できないのに対し、HPは良好な腸溶性を維持でき、遅効性ジクロフェナクナトリウムの皮膜成分として適切であることを発見し、それを遅効性ジクロフェナクナトリウムの皮膜剤として用いた徐放性製剤を発明したものであり、この点に本件特許発明の本質的な進歩性があったものである。

(3) CAPもHPも、フタル酸を置換基として有しており、このフタル酸中のカルボキシル基によって腸溶性がもたらされる点において、両者は全く同様であるから、CAPとHPとでその作用効果に顕著な違いが生じているのは、CAPがヒドロキシプロピル基を持たないのに対して、HPがそれを有している点によるものとしか考えられない。このことは、本件特許発明出願時の知見に符合するものであって、当業者であれば、HPとCAPとの作用効果の顕著な違いがヒドロキシプロピル基に由来するものであり、ヒドロキシプロピル基を有するがゆえにHPが良好な徐放効果を発揮することに思い至る。そして、いったんこのことに思い至れば、当業者にとって、HPと同様にヒドロキシプロピル基を有し、既に他の有効成分との組合せにおいてHPと同様の腸溶性を示すことが報告されているASについても、ジクロフェナクナトリウムとの組合せにおいて良好な腸溶性が発揮されることに思い至るのは極めて容易である。

(4) 以上のような本件特許発明出願時の技術水準に加え、その後に公知となった文献(甲第一九号証ないし第二一号証)の存在等に鑑みれば、HPをジクロフェナクナトリウムの皮膜として使用し得る旨の本件明細書の記載を見た当業者が、腸溶性皮膜としてHPに代えてASを用いることに、対象製品の製造の時点において容易に想到することができたこと(侵害時における置換容易性があること)は明らかである。

(五) 均等の成立を妨げる事情について

(1) 特許請求の範囲の記載の限定によりそれを超える権利主張が許されなくなるのは、新規性、進歩性を確保するための限定の場合に限られるのであって、特許法三六条の要件に適合させるための限定の場合には、均等の成立は妨げられるものではない。

(2) 原告は、本件特許発明の出願当初の明細書(以下「当初明細書」という。)において、腸溶性物質又は非水溶性物質によってジクロフェナクナトリウムに遅効化を持たせたという点及びそれを速効性ジクロフェナクナトリウムと組み合わせたという点において本件特許発明は新規性、進歩性を有すると主張していた。しかし、「オイドラギッドED」及び「エチルセルロース」をジクロフェナクナトリウムに組み合わせた遅効性ジクロフェナクナトリウムが既に公知であり、さらに、速効性製剤と遅効性製剤とを組み合わせて持続性効果を得ることも公知であったから、速効性ジクロフェナクナトリウムに遅効性ジクロフェナクナトリウムを組み合わせることは容易に想到し得たとして、昭和六三年一二月二一日付けで拒絶理由が通知された。そこで、原告は、「オイドラギッドED」及び「エチルセルロース」は非水溶性物質であって、腸溶性物質を用いた遅効性ジクロフェナクナトリウムが公知でないことを平成元年四月二〇日付け意見書で主張するとともに、審査官の拒絶理由を克服するために、非水溶性物質を用いた製剤について権利主張をすることを断念し、腸溶性物質を用いる製剤についてのみ権利主張をすることにした。そして、右拒絶理由を克服するためには当初明細書の特許請求の範囲から非水溶性物質を用いたジクロフェナクナトリウムに関する記載のみを削除することで足りたのであるが、比較例として用いられたCAPやセラックが腸溶性物質であるにもかかわらず望ましい結果を得られなかったことから、特許法三六条の要件に適合するように、実施例で開示した組合せのみのクレームとするよう明細書を補正した。

したがって、右補正において、特許請求の範囲の記載を腸溶性皮膜のうち実施例に記載した皮膜のみの組合せに減縮しているが、これは新規性、進歩性の欠如を克服するために記載を限定したものではない。

(3) 原告は、前記意見書の中で、「同じ腸溶性皮膜で被覆されていても、薬効成分の種類によって溶出パターンが異なることは周知であり、更にまた、溶出されてもこれが体内に吸収されるのに要する時間、これが与える血中濃度及びその持続時間は薬効成分によって全く相違するものであります。」と述べているが、これは開示した腸溶性物質と他の薬効成分とを組み合わせても良好な結果が得られるかどうかは分からないということを述べたに過ぎず、本件明細書の特許請求の範囲記載の特定の腸溶性皮膜以外の腸溶性皮膜の場合、ジクロフェナクナトリウムとの組合せにおいて望ましい結果が得られないことまでを述べたものではない。

(4) 以上によれば、原告が特許出願の過程において特許請求の範囲を補正したことをもって、腸溶性皮膜としてHPに代えてASを用いることについての均等の成立が妨げられるものではなく、他に均等の成立を妨げるような事情は一切存在しない。

(被告らの主張)

(一) 被告医薬品は、以下に詳述するとおり、均等の成立要件を充足しておらず、本件特許発明の技術的範囲に属しない。

(二) 本質的部分について

均等の成立要件における本質的部分とは、特許請求の範囲に記載された特許発明の構成のうち当該特許発明における特許性を基礎付ける部分、すなわち、右部分が他の構成に置き換えられるならば、全体として当該特許発明の技術的思想とは別個のものと評価されるような部分を意味すると解すべきである。

原告は、当初明細書の特許請求の範囲に、遅効性ジクロフェナクナトリウムに腸溶性物質一般を用いる旨を記載していた。しかし、本件特許発明の審査過程において、単に速効性ジクロフェナクナトリウムと遅効性ジクロフェナクナトリウムとを組み合わせて徐放性ジクロフェナクナトリウム製剤を得るという技術的思想の特許性、遅効性ジクロフェナクナトリウムとして単にジクロフェナクナトリウムに腸溶性物質又は非水溶性物質被膜を施したものを用いるという技術的思想の特許性がいずれも否定された。そこで、原告は、腸溶性物質一般について特許を得ることを自ら放棄し、従来から放出遅延効果を有するとされている多くの皮膜物質の中から、①メタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、②メタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー、③HPの三物質が、同じ腸溶性物質であるCAPやセラックと対比してジクロフェナクナトリウムとの関連ですぐれた血中濃度の持続効果を示すことを見出した旨を主張し、その特許請求の範囲について、当初明細書で示されていた腸溶性物質であるCAPやセラックを除外し、前記の三物質のみを用いる旨の訂正を行い、特許を受けるに至った。

右のような審査経過は、本件特許発明の特徴的部分がジクロフェナクナトリウムの被膜物質として右の三物質を選定した点にあることを示すものにほかならない。

したがって、HPを腸溶性皮膜として用いることは、本件特許発明の本質的部分というべきであるから、均等は成立しない。

(三) 置換可能性について

本件特許発明の中核的作用効果は、単にジクロフェナクナトリウムの有効血中濃度を長時間維持するという効果にあるものではなく、仮にHPの腸溶性皮膜とイ号製剤の腸溶性皮膜からASのみを取り出して比較したとしても、HPからなる腸溶性皮膜とASからなる腸溶性皮膜とでは、ジクロフェナクナトリウムに対する溶出特性、遅効化作用が異なるから、ASとHPとがヒドロキシプロポキシル基を有する点で共通していても、置換可能性はない。

(四) 置換容易性について

腸溶性皮膜にASを用いることがHPを用いることと実質的に同じ効果を与えるものではなく、置換可能性がない以上、置換容易性もない。

本件明細書には、特許請求の範囲記載の三物質をジクロフェナクナトリウムの皮膜として用いた場合、CAPやセラックを腸溶性皮膜として用いた場合と比較して良好な徐放効果を示すことは開示されているものの、その作用機序については何ら記載されていない。ましてヒドロキシプロポキシル基を有することによる安定性については、何らの示唆もされていない。したがって、本件特許発明の開示に接した当業者は、ジクロフェナクナトリウムの皮膜としてCAPを用いた場合とHPを用いた場合とで徐放効果に差が生じる原因やその作用機序を認識することができないし、その原因がヒドロキシプロポキシル基の有無にあると直ちに判断することもできない。

仮に本件特許発明の開示によって徐放効果の差がヒドロキシプロポキシル基の有無を原因とするものであるとの仮説を立てることが可能であったとしても、ASとHPとはエステルを構成する酸が異なり、性状や作用も相違するから、HPとASの右のような相違点がジクロフェナクナトリウムとの関係においていかなる作用機序を示すかが明らかではない以上、ヒドロキシプロポキシル基を有するASをジクロフェナクナトリウムの皮膜として用いた場合にもHPと同様の徐放効果が生じるということに、当業者が容易に想到することができたと認めることはできない。

また、仮に当業者がHPの代替品としてASを使用することを想到したとしても、本件特許発明の出願時において、ASは溶解pHの相違によって種々のタイプ(AS―L、AS―M、AS―Hなど)に分けられ、それらのうちAS―L及びAS―MはHP―55(溶解pHが5.5のもの)及びHP―50(溶解pHが五のもの)と類似の溶出特性を示すことが知られているとともに、被告医薬品で使用されているAS―Hはその溶出特性がHP―55、HP―50とは異なることも知られていたのであるから、各種あるASの中から採用されるのはAS―L又はAS―Mであるはずであって、被告医薬品で用いたタイプのもの(AS―H)が想起されることはない。

したがって、本件特許発明の出願時はもちろん、本件訴えの提起時においても、置換容易性はあり得ない。

(五) 均等の成立を妨げる事情について

本件特許発明は、長時間効力が持続する徐放性ジクロフェナクナトリウム製剤を得ることを目的するものであるが、その出願当時、速効性製剤と遅効性製剤とを組み合せて徐放性製剤を得ること、腸溶性物質又は非水溶性物質の皮膜を施し遅効性製剤を得ること、腸溶性物質としては種々のものがあることは、いずれも公知であった。そして、前記のとおり、原告は、当初明細書の特許請求の範囲に遅効性ジクロフェナクナトリウムに腸溶性物質一般を用いる旨を記載していたが、本件特許発明の審査過程において、従来から放出遅延効果を有するとされている多くの皮膜物質の中から、前記の三物質が同じ腸溶性物質であるCAPやセラックと対比してジクロフェナクナトリウムとの関連ですぐれた血中濃度の持続効果を示すことを見出した旨を主張し、その特許請求の範囲について、当初明細書で示されていた腸溶性物質であるCAPやセラックを除外し、前記の三物質のみを用いる旨の訂正を行ったものであり、その格別の効果を示す点に進歩性があると判断されて、特許を受けるに至った(仮に本件発明が右のように限定されないものであるとするならば、特許法二九条二項により特許を受けることができなかったものである。)。

本件特許発明が単にわずかでも徐放性を示すような徐放性ジクロフェナクナトリウム製剤を目的とするものではなく、すぐれた徐放性を示す徐放性ジクロフェナクナトリウム製剤を目的とすることは、右の審査経過のほか、本件明細書、平成元年四月二〇日付け意見書の記載によっても明らかである。

したがって、本件発明の遅効性ジクロフェナクナトリウムを得るためには、いずれの腸溶性物質であってもよいものではなく、前記の三物質に意識的に限定されているものというべきであり、腸溶性皮膜としてHPに代えて前記の三物質以外のASを用いることについて均等を主張することは許されない。

第三  当裁判所の判断

一  本件において、原告は、(1)被告医薬品において腸溶性皮膜にECが用いられていることは、被告医薬品が本件特許発明の技術的範囲に属するかどうかを判断するに当たって考慮する必要がなく、(2)ASとHPとは実質的同一物であるか、又は(3)本件特許発明における腸溶性物質HPに代えて腸溶性皮膜にASを用いることは本件発明と均等である、と主張している。

原告の右主張のうち、仮に(1)が認められたとしても、(2)(3)がいずれも認められないときには、原告の本訴請求は理由がないことに帰する。そこで、争点1についての判断はひとまずおき、まず、争点2及び3について判断することとする。

二  争点2について

HP及びASの構造式は、別紙「構造式」1及び2記載のとおりであり、HP及びASは、その化学構造が明らかに異なり、別物質であるといわざるを得ない。原告は、溶解pHが六ないし七の範囲にあるASは溶解pHが5ないし5.5の範囲にあるHPと目的、機能において同等であって、これと実質的に同一の物質である旨を主張するが、これは結局、被告医薬品と本件明細書の特許請求の範囲に記載された構成との均等(争点3)をいうものにほかならないところ、原告の均等の主張(争点3)についての当裁判所の判断は、後記のとおりである。原告の右主張が、均等の主張とは別個にASとHPが単に目的、機能において同等であるということのみを理由として実質的に同一物であるとして本件特許権の侵害をいうものであるとすれば、これは均等の要件を備えないものについてまで、明細書の特許請求の範囲の記載を超えて右特許発明の技術的範囲を拡張しようとするものであって、到底採用する余地はない。

三  争点3について

1  特許権侵害訴訟において、特許発明に係る願書に添付した明細書の特許請求の範囲に記載された構成中に相手方が製造等をする製品(以下「対象製品」という。)と異なる部分が存する場合であっても、(1)右部分が特許発明の本質的部分ではなく、(2)右部分を対象製品におけるものと置き換えても、特許発明の目的を達することができ、同一の作用効果を奏するものであって、(3)右のように置き換えることに、当業者が、対象製品の製造等の時点において容易に想到することができたものであり、(4)対象製品が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから右出願時に容易に推考できたものではなく、かつ、(5)対象製品が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないときは、右対象製品等は、特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技術的範囲に属するものと解するのが相当である(最高裁平成六年(オ)第一〇八三号同一〇年二月二四日第三小法廷判決・民集五二巻一号一一三頁参照)。

2  置換可能性について

ジクロフェナクナトリウムは、経口投与された場合に吸収排泄が速く、有効血中濃度を長時間持続させることが困難であったところ、本件特許発明は、ジクロフェナクナトリウムにメタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、メタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー又はHPという三種の腸溶性物質による皮膜を施した遅効性ジクロフェナクナトリウムと、該皮膜を施さない速効性ジクロフェナクナトリウムとを、特定の重量比で組み合せることにより、長時間効力の持続するジクロフェナクナトリウム製剤を得るものである。甲第一二号証、乙第一五号証及び弁論の全趣旨によれば、本件特許発明における腸溶性物質HPに代えてASを用いても、一定の徐放性を有する腸溶性皮膜を施した遅効性ジクロフェナクナトリウムを得ることができると認められるから、これを速効性ジクロフェナクナトリウムと組み合せることにより、有効血中濃度を一定時間維持するジクロフェナクナトリウム製剤を得ることが可能なものと認められ、右の限度では同一の作用効果を奏するということが可能であるから、右の限度においてHPとASとの間での置換可能性を肯定することができる。

3  本質的部分について

(一)  前記のとおり、均等が成立するためには、特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品と異なる部分が特許発明の本質的部分ではないことを要するが、右にいう特許発明の本質的部分とは、特許請求の範囲に記載された特許発明の構成のうちで、当該特許発明特有の課題解決手段を基礎付ける特徴的な部分、言い換えれば、右部分が他の構成に置き換えられるならば、全体として当該特許発明の技術的思想とは別個のものと評価されるような部分をいうものと解するのが相当である。すなわち、特許法が保護しようとする発明の実質的価値は、従来技術では達成し得なかった技術的課題の解決を実現するための、従来技術に見られない特有の技術的思想に基づく解決手段を、具体的な構成をもって社会に開示した点にあるから、明細書の特許請求の範囲に記載された構成のうち、当該特許発明特有の解決手段を基礎付ける技術的思想の中核をなす特徴的部分が特許発明における本質的部分であると理解すべきであり、対象製品がそのような本質的部分において特許発明の構成と異なれば、もはや特許発明の実質的価値は及ばず、特許発明の構成と均等ということはできないと解するのが相当である。

そして、発明が各構成要件の有機的な結合により特定の作用効果を奏するものであることに照らせば、対象製品との相違が特許発明における本質的部分に係るものであるかどうかを判断するに当たっては、単に特許請求の範囲に記載された構成の一部を形式的に取り出すのではなく、特許発明を先行技術と対比して課題の解決手段における特徴的原理を確定した上で、対象製品の備える解決手段が特許発明における解決手段の原理と実質的に同一の原理に属するものか、それともこれとは異なる原理に属するものかという点から、判断すべきものというべきである。

(二) これを本件についてみるに、甲第一号証、第二号証、第六号証ないし第一一号証、第一四号証、乙第一号証ないし第九号証、第一三号証及び第一四号証の一並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和五九年八月一〇日、本件特許発明について特許出願をしたが、右出願当時、①腸溶性物質として、CAP、メタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、メタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー、HP等が存在すること、②速効性の薬剤と遅効性の薬剤を混合して徐放性製剤を得ること、③ジクロフェナクナトリウムに非水溶性皮膜を施して遅効性ジクロフェナクナトリウムを得ることは、いずれも公知であった。

(2) 当初明細書の特許請求の範囲の記載は、次のとおりであった。

「1 速効性ジクロフエナクナトリウム及び遅効性ジクロフエナクナトリウムよりなることを特徴とする徐放性ジクロフエナクナトリウム製剤。

2  遅効性ジクロフエナクナトリウムが、ジクロフエナクナトリウムに腸溶性物質又は非水溶性物質の皮膜を施したものである特許請求の範囲第1項記載の徐放性ジクロフエナクナトリウム製剤。

3  遅効性ジクロフエナクナトリウムが、ジクロフエナクナトリウムを腸溶性物質又は非水溶性物質と練合したものである特許請求の範囲第1項記載の徐放性ジクロフエナクナトリウム製剤。

4  腸溶性物質が、溶解pHが6〜7の範囲にあるメタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、溶解pHが5.5であるメタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー又は溶解pHが5〜5.5の範囲にあるヒドロキシプロピルメチルセルロースフタレートである特許請求の範囲第2項又は第3項記載の徐放性ジクロフエナクナトリウム製剤。

5  非水溶性物質がエチルセルロースである特許請求の範囲第2項又は第3項記載の徐放性ジクロフエナクナトリウム製剤。

6  速効性ジクロフエナクナトリウムと遅効性ジクロフエナクナトリウムの配合量が6:4〜2:8である特許請求の範囲第1〜5項の何れか1項記載の徐放性ジクロフエナクナトリウム製剤。」

(3) 特許庁は、右特許出願について、その出願前国内において頒布された左記①ないし⑦の公開特許公報を引用例として掲げ、引用例①及び②にはジクロフェナック等の遅効性製剤が、引用例③ないし⑦には持続性製剤として速効性製剤と遅効性製剤とを配合する方法が、それぞれ開示されており、これらに記載された発明に基づいて、引用例①及び②に開示されている遅効性製剤に従来の速効性製剤を配合して持続性製剤にしてみる程度のことは、その出願前にその発明に属する技術分野における通常の知識を有する者が容易に想到し得たものと認められるから、特許法二九条二項の規定により特許を受けることができないとして、原告に対し、昭和六三年一二月二一日付けで拒絶理由を通知した。

① 特開昭五七―一〇九七一五号

② 特開昭五七―一〇九七一六号

③ 特開昭五二―一三九七一三号

④ 特開昭五四―一二九一一五号

⑤ 特開昭五八―二六八一六号

⑥ 特開昭五八―八三六一三号

⑦ 特開昭五八―一〇八二八九号

(4) 原告は、右拒絶理由通知を受けて、特許庁に対し、平成元年四月二〇日付け手続補正書により、明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の記載を、本判決末尾添付の本件特許権の出願公告公報(甲第二号証。以下「本件公報」という。)記載のとおりに補正するとともに、同日付け意見書を提出した。

右補正後における本件明細書の発明の詳細な説明には、「以上のような腸溶性物質については、本発明者らが種々の物質についても検討を重ね、その結果メタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー(商品名オイドラギットL・S)、メタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー(商品名オイドラギットL30D)、ヒドロキシプロピルメチルセルロースフタレート(商品名HP)がすぐれた徐放性を示すことを見出したものである。」(本件公報四欄一六ないし二三行)と記載されている。

また、右意見書には、「斯かる実状において、本発明者は、投与直後の血中濃度の急激な立上りを抑え、しかも一定の血中濃度を長時間持続させることのできる製剤を開発すべく種々研究を行った。その結果、従来から放出遅延効果を有するとされている多くの皮膜物質の中で、上記の特定の腸溶性皮膜がすぐれた持続効果を示し、この腸溶性皮膜を施した遅効性ジクロフェナクナトリウムと速効性ジクロフェナクナトリウムを特定の割合で組合せると、本願の第1〜3図に示すように、約10時間にわたって有効量の血中濃度を与えることを見出し、本願発明を完成したものであります。」、「また、同じ腸溶性皮膜で被覆されていても、薬効成分の種類によって溶出パターンが異なることは周知であり、更にまた、溶出されてもこれが体内に吸収されるのに要する時間、これが与える血中濃度及びその持続時間は薬効成分によって全く相違するものであります。従って、薬効成分の血中濃度を長時間一定に保持して持続化を図るためには、各薬効成分の種類によって、条件にあった皮膜を選定して遅効性製剤を調製し、かつこれを速効性製剤の特定量と組合せるという多大の研究を必要とするものであり、決して貴官ご指摘のような簡単なものではありません。」と記載されている。

(5) 本件特許発明は、平成元年一二月四日に特許出願公告され、平成二年四月二七日に特許査定されて、同年七月二五日に登録された。

(三)  本件明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の記載に右(二)(1)認定の本件特許発明出願当時の公知技術を総合すれば、本件特許発明は、(1)ジクロフェナクナトリウムの皮膜物質として、腸溶性物質であるメタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー、メタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマー及びHPという三種の物質を選定した点、(2)ジクロフェナクナトリウムに腸溶性皮膜を施した徐放部と、該皮膜を施さない速放部を特定重量比率で組み合わせたことにより、ジクロフェナクナトリウムという特定の有効成分に対してすぐれた徐放性を有する製剤を生み出した点において、従来技術にない解決手段を明らかにしたものと認められ、右の点が本件特許発明特有の解決手段を基礎付ける技術的思想の中核をなす特徴的部分、すなわち本質的部分というべきである。そして、この点は、前記(二)認定の本件特許発明の審査経過、なかんずく前掲平成元年四月二〇日付け意見書の記載等によっても、裏付けられるものである。

そうすると、本件特許発明における腸溶性物質HPに代えて腸溶性皮膜にASを用いることは、前記のとおり、(1)従来から放出遅延効果を有するものとして知られていた多数の皮膜物質のなかから、ジクロフェナクナトリウムという特定の有効成分に対してすぐれた徐放性を有する物質として特許請求の範囲記載の三物質を見いだしたという点が本件特許発明特有の解決原理であり、(2)他方、ASはHPとは化学構造が異なる別物質であることに照らせば、本件特許発明と同一の解決原理に属するものということはできない。

したがって、本件特許発明におけるHPに代えてASを用いることは、本件特許発明の本質的部分について相違するというべきであるから、均等の成立を認めることはできない。

この点について、原告は、本件特許発明のセルロース系の腸溶性皮膜を用いる発明においては、ヒドロキシプロピル基を有しているために構造的に安定している皮膜を用いたという点に技術的特徴があると主張する。しかし、本件特許発明の特許請求の範囲に記載されている三種の腸溶性物質のうち、ヒドロキシプロピル基を有しているセルロース系の腸溶性物質はHPのみであり、他の二種の物質、すなわちメタアクリル酸―メチルメタアクリレートコポリマー及びメタアクリル酸―エチルアクリレートコポリマーは、いずれもヒドロキシプロピル基を有していない。原告の主張は、特定の三種の物質を腸溶性皮膜として用いることが択一的に表現されている本件特許発明において、これらのうち一種についてだけの特徴を本件特許発明の技術的特徴であるとするものであって、失当といわざるを得ない。また、本件明細書の記載を見ても、特許請求の範囲記載の三種の腸溶性皮膜をジクロフェナクナトリウムの皮膜として用いた場合には、対照例のCAPやセラックを腸溶性皮膜として用いた場合と比較して、良好な徐放効果を示すことは開示されているものの、その作用機序については何ら示されておらず、まして、ヒドロキシプロピル基の存在が徐放効果に何らかの影響を与えることについては何ら示唆されていないのであって、この点に照らしても、原告の右主張を採用することはできない。

4 均等の成立を妨げる事情について

また、前記3(二)認定の本件特許発明の出願経過に照らせば、原告は、特許出願手続において、本件特許発明の技術的範囲を、遅効性ジクロフェナクナトリウムの腸溶性皮膜に特許請求の範囲記載の三物質を用いるものに限定した(すなわち、右三物質以外の腸溶性皮膜を用いるものが本件特許発明の技術的範囲に属しないことを承認したか、少なくともそのように解されるような外形的行動をとった。)ものと認められ、原告には、遅効性ジクロフェナクナトリウムを得るための腸溶性皮膜としてHPに代えて前記の三物質以外のASを用いることについて、均等の成立を妨げる特段の事情があるというべきである。したがって、この点からも、原告の均等の主張を採用することはできない。

四  以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、被告医薬品が本件特許発明の技術的範囲に属するということはできないから、原告の請求は、いずれも理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官三村量一 裁判官長谷川浩二 裁判官中吉徹郎)

別紙物件目録〈省略〉

別紙構造式〈省略〉

別紙特許公報〈省略〉

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